In her song called Maman, Louane, a 20-year-old French singer, sings about how we pass dull, tedious days in resignation and desperation. We sometimes feel so trapped in the net of circumstances that we get passive-aggressive. We get to express indirectly our negative feelings of anger, distrust or frustration by procrastinating, showing indifference to what’s going on around us, or distracting our own attention from what really matters. Then we are led into a cul-de-sac, where we are getting weary of reaching out for what we should be.
フランスの若き歌姫ルアンヌは、「ママ」という曲で、あきらめと投げやりな気持ちの中で、ただただ毎日をこなしていってしまうわたしたちの姿を歌っています。あまりにも、身の回りの状況にがんじがらめにされているがために、様々なことに対して、ある意味、逆ギレ気味になってしまうことがあります。怒りや不信や葛藤といった暗い感情を、間接的に表現しようとするのです。それはズルズルと物事を後回しにしてしまったり、身の回りのことに無関心を装ってみたり、大事なことから目を逸らしてみたり。そして、袋小路に陥り、こうしなきゃという気持ちにただただ疲れてしまったりもするのです。
In this song she calls on her mother to help her make sense of what she is. She knows this is not right but has no idea what to do. There is good rhyming throughout the lines, but some of them don’t seem to have as profound meaning as listeners would expect. This disappointment listeners experience, however, is the very emotion we are truly exposed to on a daily basis.
この歌で、彼女は「ママ!」と呼びかけます。自分が今どういう状況にあるのか、もう分からない。何かうまくいっていないことは分かっていけれど、どうしたらいいのかは分からない。そんな感情が歌われていますね。全編韻が踏まれているのですが、聴き手が期待するほど、そこまで深い意味を掘り下げているわけではありません。しかし、この裏切られ感やがっかり感こそ、わたしたちが日常的に闘っている感情でもあるんですよね。
Louane – Maman
ベッドからベッドへと移ろう愛
ホテルで 駐車場で
悩みから 逃れるために
街では 心は 青ざめてる
憂鬱の底から 電話口から
すべてがまた始まる 春のように
消せない愛の記憶を除いて
地下鉄は 夢を詰め込んで進む
高層ビルは 私たちを見下ろす
まるで 檻の中の小鳥のように
ねえ ママ
わたし 頭がおかしくなりそう
何もかも楽しめなくなった
今のわたしを見て
探し求めてる でも何を どうして
バーは 人でごった返している
でも 心は乾ききっている
約束は 交わされる
すぐ 捨てられる約束が